about・ぶんの前身ブログです。こちらが本店、あちらが支店のつもりです。(笑)


by bp2004

4 内なる差別に気付いた日

前にも書いたけど、私は子供の頃から変に正義感の強い子だった。一人の子を守ろうと、クラス全体の女子を相手に立ちはだかってしまう程、無謀なまでに正義感が強かった。それで、自分は差別なんか絶対にしない、差別に立ち向かって見せる、自分には縁のない事と思っていた。

そんな思い上がりに気付かされたのは、今からもう25年近く前になる。




初めての駐在でアメリカに来て、オットットがインド人の人と親しくなった。彼の奥さんは白人の人だった。家族ぐるみのお付き合いをして、とても親しくしていた。彼等の娘さんとその友達はその10年後位後に、日本の実家に2週間程、泊まりに来た事もある。そして今は彼等もカリフォルニアに引っ越して来たので、相変わらず親しくおつきあいしている。

ある日、どちらの家でだったか、もう記憶はないのだが、一緒に夕食を楽しみ、その後の語らいを楽しんでいた時、彼が、インドからアメリカに来るのは、インドでもエリートだ。エリートでないと、とてもここまで来られないから。その点、日本からは普通の人が来る。というような事を言った。奥さんの方が、そんな言い方失礼よというような感じで彼をたしなめていた。

そのインド人の人は別に悪気も蔑みもなかった。そういう人ではない。彼としては、普通の人でもやってこられる日本の平等性、自由さ、豊かさを言いたかったのだと思う。

私はその時、そうか、彼はエリートなんだ。こっちは彼の言う通り、普通の人だな。インドに居たら、付き合ってももらえないような階層の人だったのかも知れないと思った。そして、その時突然、自分でもそれまで気付かなかったけど、自分の中に、白人ばかりちやほやするのではなく、アジアの人とも平等な気持ちで付き合おうと自分に言い聞かせてきた、もう一人の自分に気付かされた。そして、そんな事を思うどころか、むしろ立場は逆だったのだと驚く自分に。

自分の眼の前の人に対して、平等に付き合おうとか、普通に付き合おうとか、差別してはいけないとか、無意識にでも、そういう気持ちがある時、それはとりもなおさず、自分の中に差別する意識があるのだという事に気付かされた。全く、何のこだわりも持っていないとしたら、心のどの隅を探っても、そんな事は考えもしない筈だからだ。自分に何を言い聞かせる必要もない筈だからだ。

あの一人で立ち向かった幼い自分も、差別と闘う自分を意識していた時点で、クラスの女の子達と、次元は変わらなかったのだろうと今は思う。今でも、あの勇気は結構買えると思っているのだけど、正直な所。

自分の中の差別、傲慢さ、そういうものに気付かされた貴重な体験として、今も忘れられないし、忘れないでいたいと思っている体験である。
[PR]
by bp2004 | 2005-03-28 10:16 | In my opinion