人気ブログランキング | 話題のタグを見る

about・ぶんの前身ブログです。こちらが本店、あちらが支店のつもりです。(笑)


by bp2004

2 Terri Schiavoが亡くなって、、

結局、両親の闘い空しく栄養補給を止められて13日目に、彼女は亡くなった。両親は死に目にも立ち合えなかった。



彼女が脳に損傷を受けて15年。もう死なせてやってくれというご主人と死なせるなという両親の闘いが始まって8年だったという。大分前にも彼女をテレビでみた事がある。脳に損傷を受けた人であるのは表情からでも分かったけど、ちゃんと座って、微笑みさえ浮かべていた。両親はこちらの言う事は分かるし、感じているのだと言っていた。そういう感じだった。植物人間というのとは程遠い感じだった。

それが何故一気にこんな事になったのか、病院が補給を止めた時の状態は詳しく知らない。何しろブログにかかり切りになり始めた後なので、、(汗)最後の頃は、本当に無反応の植物人間という感じだったのかどうか分からないが、私が見た状態とそう変わらないとすれば、殺人だと言うのも分かる気がする。

何であれ、配偶者だけにこういう決定権が与えられるのは、どう考えてもおかしいと思う。亡くなった後に、こういう場合、親子関係で、その負担も辞さないという前提が満たされるなら、その権利も考慮されるように、法改正がなされるべきだとある人が言っていたが、全く同感。親にとっての打撃の方がはるかに大きいだろう。子供を亡くすのが究極の不幸と思っている私は、この両親に深く同情してしまう。

アメリカは核家族の社会だとは知っているけど、こういう事かと今さら、その徹底ぶりに驚く。核家族の外に居るのは、親でも権限がないなんて、、。最期のお別れの権利も認められていないなんて、、。親が他人と同じ権利しかない、なんて。

やはり奥さんが14年植物状態という人が、ラジオ番組に電話を掛けてきて、今回の件のご主人を責める声が大きいけど、そういう奥さんを見続けているのが、どんなに辛いか、自分はよく分かるから、責める気持ちにはとてもなれないと言っていた。ご主人の側だって人道的立場でありうると。

では何故あなたも同じ選択をしないのかと聞かれた時、淡々とした調子で、その人は「子供たちの為だ。彼らはまだ母親を必要としているから、今は尊厳死を選べない。」と答えた。ただ存在するだけの母親、それでも子供にとっては存在してだけで決定的に違ってしまうという事の重さ。それを理解して、自分の辛さに耐えているそのご主人。胸を打たれた。

また父の話で恐縮だが、父は重い腎臓病だったので、最後の25年間、何度も死に掛けた。何度も予行演習させてもらったから、普通の人よりは父の死を比較的楽に受け入れられると思ってきた。アメリカにまた来てからも、半年を最高に、3ヵ月位はしょっちゅう父母の具合が悪くなる度に戻っていた。10年以上、そんな暮らしをしてきた。自分なりに精一杯の事をしてきたから後悔もそんなにないと思ってきた。

何と浅はかだった事だろう。どんなに死に近づいても、本当に居なくなるというのとの差は決定的に大きい。それがこんなに大きいものだと分かったのは、亡くなってからだ。四年半近く経った今でも、よくブログに書く事を見ても、まだ本当には立ち直れていないのだと思う。

日本の友人は、「日本に居ると却ってそこまでしていない人もたくさん居る。自分の家をこんなに何度も長期に空けて、しかも半年も空けてまでなんて、していないよ、普通。」と慰めてくれる。でも、後悔ばかりに襲われる。生きている時に感じていた「精一杯」と、亡くなってから考える「精一杯」と何と隔たりのある事か。目の前に居られた時と二度と叶わない時の差がどんなに大きいものか。

Terriさんのご両親にとっても同じだろう。他人から見れば死んだも同然の状態の15年だったかもしれない。それでも、目の前から消えてしまった辛さ、前に居たか居ないかの、その決定的違いの重さ。子供の為に尊厳死を選ばないと言ったご主人。目の前に居る、形だけでもある、その違いの大きさ、辛さ。そういうものは、私なりに分かる気がする。亡くなってから初めて分かる事、身につまされる事の大きさ、子供でも辛い。逆縁で、これから死ぬまでそれを抱えて生きて行かねばならない、ご両親、、。今回の裁判所の決定は、やはりおかしいと私は思う。
by bp2004 | 2005-04-05 03:12 | In my opinion