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about・ぶんの前身ブログです。こちらが本店、あちらが支店のつもりです。(笑)


by bp2004

日経新聞 2005年3月掲載 『私の履歴書』(石坂公成(きみしげ)氏)に寄せて。

私は無知で、全く名前すら存じ上げなかったのだけど、この方は免疫学者として、国際的に有名な賞を数々受賞し、アメリカに35年滞在し、教授としてのみならず、免疫学会の会長としても活躍された人であるとの事。

そもそもアメリカの免疫学会の長は、アメリカ市民でなければならないという規定があったそうだが、この人になってもらう為に、規定を変えたのだとか。こういう所で、さっと規定を変えられる所がアメリカらしい。日本だったら、前例がないとか、日本人以外にその席を渡すのはけしくりからん、なんて反対の動きが出そう。

現に夫人は京大の教授にという声がありながら、医学部では女性の教授の前例がないと教授会で却下されたとか。ほんの30年弱前の話。その直後に夫人はアメリカの大学の医学部で教授になられている。アメリカで日本女性が教授となった初めての方らしい。奥様の照子さんも同じく免疫学者で、夫婦での受賞もされている。

私は日本で前例がないというのが何かの理由にされる度に、腹わたが煮えくりかえる位の怒りを感じる。全ての事に初めがある。進歩もそこから始まる。教授会のメンバーといえば、それなりに知的なレベルの筈の人間が、揃いも揃って、こういう事を平気で言い、かつ実践する時、私は日本に深い絶望を感じてしまう。

初めがなくて、進歩があろうか。前人未踏の世界に挑む心意気がなくて、未来があろうか。前例がないというような非論理的理由が論拠になると思える感覚すら信じられない。最高学府のトップに立つ人間までが、そんな論理性のかけらもないことを平気で持ち出して、見ているこちらの方が恥ずかしい。

今、奥様はパーキンソン病に倒れられて、故郷の山形大学病院に入院し、6年半になるという。この石坂氏は、毎日、奥様の病室に行かれて朝の9時から午後5時か6時まで病室に居る。奥様が眠っておられる間だけ、色々、お仕事を病室でされているそうだ。79才の今もかなりお忙しいらしい。

行間に、いつもお二人の人間としての誠実さ、謙虚さ、勤勉さ、自然科学への純粋な情熱、社会への貢献への情熱、そして深い夫婦の間の尊敬と愛を感じて、気持ちよく読ませてもらった。感銘を受けた全部は紹介できないけど、いくつかご紹介を。

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当時(昭和20年)の学生は自分の命があと数ヵ月しかないと思っていた。ところがその年の八月に終戦になり、私も生き永らえることになった。

はっきりしていることは、人間がどこへ行って何をするかということは遺伝子ではなく偶然によって決められるということである。

研究者になることを決めたときも、将来日本で学者が必要になる時代が来るかどうかはわからなかったし、経済的な保証も全くなかった。にもかかわらず私がそんな職業をもつことになったのは、一生に一度でよいから自分のしたいことをさせてもらいたいという気持ちがあったからである。いくつかの偶然の積み重ねがそれを可能にした。人生とは不思議なものである。(以上、初回より抜粋)
       
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「一日一日を大事にして生きていく以外には致し方ないとあきらめに達しています。まったく四十五年間幸せに、大事にして可愛がって頂きました。・・・・ 貴方に不自由な思いだけをかけていて、本当にすまないと思いますが、許してください。そしていつまでも照子のボクとして、最後まで貴方を愛して先立ってゆく私をゆるしてください。」(注:奥様が病気とその将来を知って書かれたお手紙)

我々自然科学者にとっては自然は絶対的な存在である。照子も私も、自然が決めたことを客観的に受け入れるほかなかった。

      (以上、28回目より抜粋)
   
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私が日本に帰って感じたことは、日本人の考え方が三十五年前とは変わってしまったことだった。学生たちは自分が将来何をするかよりも、有名な学校に入ることや安泰を第一としているし、エリートたちは名を上げることやほめてもらうことを目的として生きているようにみえる。

私が学問の世界に飛び込んだのは、自然科学の美に魅せられたからである。そして、それは我々夫婦に共通した感覚であった。

基礎科学者は誰もほめてくれなくても自然の美を発見したことに満足なのである。そう感じない人はこんな仕事をするべきではない。

我々が研究者として成功した最も大きな理由は、我々が愚直だったことにある。私は英語で嘘をつくことができないので、嘘をつくことを忘れてしまった。照子の場合は正直の上に”ばか”がつく。幸いにして愚直であることは科学者にとって最も大切な資質であったし、愚直は多民族社会である米国で自分の信念を通すために最も重要なことであった。おそらく、我々くらい米国でいろいろの人と心を通わすことができた日本人はめずらしいだろう。

我々の人生は面白い人生であった。 (以上、最終回より抜粋)
by bp2004 | 2005-05-17 08:30 | 暇の果実