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about・ぶんの前身ブログです。こちらが本店、あちらが支店のつもりです。(笑)


by bp2004

3 180度違う感覚

大分昔にある本を読んだ。元アナウンサーで今、国会議員をしている女性(いつもながら、名前は失念)で、確かカイロ大学だったか、イスラム圏の国の大学に留学した人が、その留学体験を書いていた。とても、興味深い本だった。

イスラム教というと、何となくコワイようなイメージだったけど、その大らかさ、愛情深さに驚いた。最近はもっぱらテロで名を売ってしまっているけど、敬虔なイスラム教徒の人達が、自分達の宗教とテロは無縁のものだ。イスラム教は愛の宗教だというのも分かる気がする。

そのイメージだけが強く、細かい事は、当然のように忘れてしまったけど、一つだけ強烈に印象に残っていることがある。日本人の感じ方と180度違うけど、むしろ、イスラムの人の感覚の方が正しいのではと思ったので、、。

イスラム教では困った人を助けるという思想はとても強い。普段でもそうだけど、その宗教のお祭りの時は特にそうなる。それで、与えられる立場にある人は家を解放して、そういう人達を迎える。見ず知らずのそういう人達を迎えて、温かく歓待する。そういう習慣があるのだそうだ。

ここで助けられ、下へもおかぬ歓待を受けて、さて、その家から帰ろうという時、日本だったらどうだろう?助けられた人は感謝感激、地面にひれ伏さんばかりにお礼を言うのではないだろうか。涙をこぼしてお礼をいう人もあって不思議でない。助けた人は、鷹揚に、温かく、気にしないで、またいつでも、みたいな事を言うのではないだろうか。

これがイスラム教の考え方では全く逆になる。助けられた人は、お礼も言わずに堂々と、帰るのだという。お礼を言うのは助けた方の人で、よく来てくれた。お役に立てて嬉しい。本当に有難うと、言葉を尽くしてお礼を言うのだという。

何故そうなるか?
それは助けた人は、それによって功徳を積めるからであり、助けた人の方が幸せだからである。助けられた人は、助ける人に助けさせて上げたから、お礼を言われて当然なのだという。

読んだ途端はものすごく驚いたけど、考えてみると、こちらの方が正しい気がする。受けるより与える方が幸せである。与えさせてもらったという謙虚な気持ちは正しいのではないか。

日本的発想だと、助けるのは、してやったという奢りにつながる。見返りを期待したりする。あそこまでしてやったのに、恩知らず云々。助けられた方は引け目を持ったりする。でも、そもそも、与える立場の方が恵まれている。与えさせてもらったという考え方というのは、謙虚で良いなと思う。

人に甘えられない人というのが居る。甘えてばかりいる人より、そういう方が好ましい。自立しているという点でも好ましい。それは確かにそうだけど、程度問題じゃないかなと思う時もある。もっと素直に甘えても良いのじゃないかと思う時がある。本人もそう分かっているのだけど、甘えられない。

でも、少し考え方を変えても良いのじゃないかな。甘えてばかり、相手におんぶにだっこじゃ、それこそ相手も迷惑かもしれないけど、ぎりぎりの所に来たら、ちょっとは甘えても良いのじゃないかな?信頼出来る人になら、少しは甘えても良いのじゃないのかな?

人に甘えてもらうのってそんなに悪い気分じゃない。人に優しくしてあげるのって良い気分だ。甘えるという事はある意味では、そういう良い気分に相手をしてあげるという事でもある。絶対に人に甘えられないという人は、ある意味では、絶対に人をそういう良い気分にさせたくない人なのかな?甘える程、相手を信じられない人なのかな?とふと思ってしまうことがある。

イスラム教の教えのこの部分は、そういう発想もあると、もっと日本に伝えたいなと思う点だ。助けさせてあげること、甘えてあげることによって、与えているものもあると思う。そう意固地になることもないのではないかなと思う。もっとお互いに大らかでもよいのではないだろうか。与える立場というのは、与えさせてもらっている立場。その通りなんじゃないのかな?
by bp2004 | 2005-05-23 23:32 | 暇の果実