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about・ぶんの前身ブログです。こちらが本店、あちらが支店のつもりです。(笑)


by bp2004

外から見ると、、、

「明るい人」で書いたように、人は表面からだけでは分からない。とても辛い事を抱えて苦しみながらも、明るさを決意で選び、「ぎんぎらぎんにさりげなく」頑張っている人もいる。

何の苦労もなく、全てに恵まれて楽しいからこそ明るい人も居るだろう。また、明るくしていないと嫌われるという怯えから、無理してそうふるまっている人もいるだろう。明るいけれど、全く心を開いていない人というのも居る。明るく優しい人と思ったら、実はとんでもない底意地の悪い人で、それは全くの仮面だったという事もある。

外から見ただけでは分からない。安易に決めつけると、出会うべき人に出会えなくなってしまう事もあるかもしれないし、思いきり、痛い目に遭う事もある。







明るい人とは逆に、いつも苦虫を噛みつぶしたような、不機嫌な人とか、つんつん当たってくる人、意地悪な人、陰で人の足を引っぱるような人もいる。何でそこまで僻むのとか、攻撃的なのとか、ひねくれているのと直接聞きたくなってしまうような人も居る。

そういう人というのは、不幸な人である事が多い。不幸でも前述のように明るい人もいる。だから逆は真ではないけど、こういう嫌な人というのは、先ず100%に近く、不幸な人である。不幸におしつぶされそうな人、おしつぶされて歪んでしまった人、今現在不幸を抱え込んで、どこかにはけ口を見つけないと居られない状態の人。

そういう人というのは、悲しさを抱え込んでいる人である。悲しくて悲しくて怒りという攻撃になってしまう。悲しさに押しつぶされている。

そういう人というのは、そういう状態なのに、愛が得られずに、愛に飢えている人達である。不幸の中でも、愛に恵まれた人はこうならない。回りからの愛に恵まれていなくても、自分から愛して行こうという道を選んだ人はこうならない。要するに、自分の中にも、自分の外にも愛が欠如している人である。そういう意味では可哀相な人である。本当の意味で不幸な人である。

不運は選べない。やってくる時は、悲しいかな、人の力では防げない。だけど、不幸は選べる。それを不幸と思うか思わないかで。ただ、それには意志の力が必要になる。嫌な人というのは、そういう強い意志を持てずに、もがいている人である。

私もそういう弱い人間である。自分が今そう嫌な人にならずに済んでいるのは、自分が押しつぶされるほどの困難にまだ遭っていないからだけである。そう思うと、そういう嫌な人もそう嫌でもない。明日の自分かも知れない。かわいそうな人なんだと思えば、そう腹も立たない。

なんて事を言いながら、結構腹を立てることも少なくない未熟な私。大きい苦しみに遭ったら、たちまち超嫌な人になりそう、、、。どうぞ、神様、耐えられないような苦しみを与えませんように。そうひたすらに祈る毎日である。
by bp2004 | 2005-02-26 00:11 | In my opinion