about・ぶんの前身ブログです。こちらが本店、あちらが支店のつもりです。(笑)


by bp2004

カテゴリ:待夢(time)すりっぷ( 13 )

4  妻の鑑の女傑

もう30年近く前になるのかもしれない。テレビに、ある有名な会社の社長が出てきてインタビューを受けていた。有名だったのは覚えているけど、もうその会社の名前も覚えていない。

そのインタビューの中で、事業の成功の秘訣みたいな事を聞かれていた。その人は、色々あるけど、何といっても一番は妻のお蔭だと言った。そこまでは、よくある話と上の空で聞いていた。

でも、その人が言った事は普通の内助の功とは違った。

その人は、今でこそ、成功して安定しているけれど、ここに至るまでは、何度も事業に失敗し、夜逃げ同然の生活に落ちた事がある。奥さんも内職に明け暮れた。そして、また、事業が急にうまく行って、昨日まで狭い借家暮らしをしていたのに、急に豪邸に引っ越しして、お手伝いさん数人を雇う生活、そしてそこからまた内職暮らしに逆戻りという、実にドラマチックな波乱万丈の半生だったのだそう。

その奥さんの話を聞いて、私は素直に偉いっ!と思った。

どういう事かというと、その奥さんは、昨日までお手伝いさんを使って、奥様として暮らしていたその翌日に、一間の借家暮らしになっても、全く平静で、それまでずっと内職暮らしをしていたように、淡々と内職をしている。逆の場合もしかり。昨日まで、そのお手伝いさん以下の苦しい生活をしていたのに、奥様になると、また淡々と、かつ堂々と、ずっとそうだったように奥様らしく采配を振るったそうだ。

事業の波の激しい人生で、奥さんがいつも、昨日までと激変する暮らしでも、全く意に介さず、淡々とそれが当り前で、ずっと続いていた暮らしのようにしていてくれる所が、ものすごく有難く、そのお蔭で落ち込む事もなく、頑張れたのだと言う。あれで一喜一憂されていたら、やって行けなかっただろうと。

女傑だなぁと思った。それだけ違う生活。ひと晩で悪くなれば、うらみ事の一つも言いたくなるだろう、嘆きたくもなるだろう。逆に良くなっても、昨日まで内職暮らしで、急に人を使うような暮らしは、卑屈になったり、おどおどしたり、あるいは逆に、弱みを見せまいと居丈高になりそうな気がする。こだわるという事の全く無い女性だったのだと思う。

いつも平常心で淡々としていたというその奥さん、私は妻の鑑だと思う。自分にはとても無理だけど、同性ながらあっぱれ、と思った女性である。ずっと昔に一度聞いただけの話なのに、強烈に記憶に残ってしまった一人の女性だ。
[PR]
by bp2004 | 2005-05-26 13:04 | 待夢(time)すりっぷ

マリアンの贈り物

マリアンが亡くなって、もう6年近くなる。3度癌に掛かり、4度目に血液の癌、白血病に罹って亡くなってしまった。亡くなる一週間位前に会った。好転していて、この病気も必ず克服して見せると、彼女らしい前向きの姿だった。

彼女が亡くなって、こんなに時間が経ってしまったけれど、私の中で、彼女は色褪せるどころか、ますます輝きを増している。彼女が私に贈ってくれたものの大きさが、時間が経つ程に分かって来る。

続き
[PR]
by bp2004 | 2005-05-04 09:24 | 待夢(time)すりっぷ

笑顔の家

c0008486_8514624.jpg


More
[PR]
by bp2004 | 2005-04-20 08:29 | 待夢(time)すりっぷ

5 あまのじゃく

私は昔々、好きと言われると、急にその人が気持ち悪くなって、嫌いになった。

続き(短いけど、恥ずかしいので)
[PR]
by bp2004 | 2005-04-18 12:44 | 待夢(time)すりっぷ

NHK『のど自慢』

私はこれが嫌いだった。あのテーマ音楽が始まった途端にうへぇという感じ。
もともと、NHKが嫌いで見なかったので、自分の家では掛ける事もなかったのだけど、実家に行くと、父がこれが好きで必ず嬉しそうに見ていた。私にチャンネル権は無いので、父が見始めると早々に退散していた。

More
[PR]
by bp2004 | 2005-04-04 02:30 | 待夢(time)すりっぷ
一世を風靡し、アラン・ドロンと言えば、美男子の代名詞のようだった。キムタク、ヨン様、トム・クルーズ全てを合わせても、足元にも及ばない存在だったと思う。20年位はそんな感じだったと思う。誰をも寄せつけない、圧倒的な美男ぶりだった。最近の世代は知らないかもしれないけど。

続き
[PR]
by bp2004 | 2005-03-04 06:17 | 待夢(time)すりっぷ

6 武勇?伝

大分昔の話、子供達がまだ小さかった頃。何でこんな話を急に書きたくなったのかよく分からないけど、多分、今日は機嫌が良いからだろう。今までに書いた他にも私を機嫌よくする理由があるのだけど、今は時期尚早ということで、、。

続き
[PR]
by bp2004 | 2005-02-27 08:46 | 待夢(time)すりっぷ

3 "Nobody Knows"

こちらの日本人向けの雑誌を読んでいたら、あの是枝裕和監督作品『誰も知らない』が、こちらで上映されるらしい。楽しみだ。見たいと思っていた映画だ。アメリカでもかなり好評になるのではという気がする。

その雑誌のインタビューに答えて、是枝監督がこの映画は、”内面の忘却”というのをテーマにしていると言っていた。『誰もしらない』というのは、社会的に忘れ去られた子供という意味でもあるけど、そのテーマを表わしてもいるのだそうだ。

つまり、

  ほとんどの大人が、自分が子供だった時のことを忘れて、
  子供がどんなに複雑な生き物だったかを知らずにいる

という事だそうだ。子供一般はともかく、私は自分がどんなに複雑な生き物だったかだけは覚えている。切なくなるほど、、、。

子供が生き生きと等身大に描かれている作品は好きだ。
[PR]
by bp2004 | 2005-02-24 14:41 | 待夢(time)すりっぷ
私は今だにクリスチャンではない。でも夢にキリストが出てきた事がある。輝くように眩しくて、顔は見えなかったけど、はっきりキリストと分かった。眩しくて、目がつぶれるような感じで、それが分かった。

その頃、私は重い病気に苦しむ両親が、長男だからと祖母の世話を押し付けられている事に強い義憤を覚えていた。それまでだって自分の家庭を二の次にしても、長男として、兄弟の面倒を散々見てきた父である。

それなのに何と一方的な事かと腹を立てていた。功徳を積んで死んでから天国に行ったって、それが何だと思っていた。自分はどんな事があっても、あなたは長男だからとか、自分は嫁に行った身だからとか、死んでも口にしないと心に誓っていた。

それで夢に出てきたキリストに向かって、大胆にも、「死んでからどんな良い目にあったってしょうがない。この世には不公平が多すぎる。死んでから報われてもそれはそちらの自己満足だ。」みたいな文句を言った。本当に怖い者知らずとは怖ろしい。そしてキリストは何か弁解らしい事を言うか、多少、謝罪めいた事を言ってくれるかと思った。

続き
[PR]
by bp2004 | 2005-02-13 07:54 | 待夢(time)すりっぷ
私が忘れられないその試合は今から20年以上前になる。

初めてアメリカに来た年の事だ。以前に書いたように(明るい人)、その時は喉頭癌でこれから声を失うという母を日本に残し、いつになるかわからない腎臓移植を待つ父と一緒にアメリカに来た。夫の勤務の関係で、手術予定地のサンフランシスコに居られるのは半年だけ。タイムリミットがあった。その間に父の移植のお呼びが掛かる事を祈る毎日だった。

その年、それまで万年最下位だったサンフランシスコ49ersが奇蹟の勝ち進撃を続けていた。スーパーボウルも夢でないというような。ジョー・モンタナがその原動力になっていた。彼はモンタナ・マジックと言われる奇蹟を起こす男とも言われた。奇蹟の逆転を何度も演じた。学生時代もそういう評判を持つ選手だった。でも、ドラフトでそんなに評価されていた訳ではない。プロ入り2年目か3年目に開花した。

何度も何度もモンタナ・マジックを起こして、ついにスーパー・ボウル行きを果たし、そこでも奇蹟を起こして初優勝した。

More
[PR]
by bp2004 | 2005-02-07 21:28 | 待夢(time)すりっぷ