about・ぶんの前身ブログです。こちらが本店、あちらが支店のつもりです。(笑)


by bp2004

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明るい人

若い頃、私は明るい人というのは、幸せに生まれついて、何の苦労も悩みもない人なんだろうと思っていた。そして、明るい人にちょっと嫉妬していた。明るい人がちょっと嫌いだった、、。

そんな自分の考えを変える経験をした。今からもう25年位前、初めてアメリカに来る頃だった。

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by bp2004 | 2005-01-31 01:50 | 待夢(time)すりっぷ

6 続 塩の塊

(今日も6つも書いてしまった、、、)

先日書いた『角塩?』の記事に関連した情報を、かつての教え子の彼女からもらいました。やはり、結晶の塩は天塩よりおいしいみたいです。フランスの塩もおいしそう!蒸し野菜につけて食べるというのも。ご参考までに。それと、あれに送ってもらったコメントでも、築地の有名なお寿司やさんであのボリビアの塩を使っていると教えてもらいました。マイ・ブームになりそう、、。

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塩って本当に味が違いますよね!ちょうどお塩に興味をもって
いたところなので、先生のすごい固まりを見て、梅干を見たと
きのような反応でよだれがでそうでした。

きっかけは夫の兄夫婦に招待されて自宅で手料理をご馳走にな
った時に、蒸した野菜(カラーピーマンやさつまいもなど)に
フランス土産のお塩をつけて食べたときでした。先生のように
大きいものでなく2ミリ角くらいなのですが、とてもきれいな
四角い結晶で、味も深いというかおいしかったんです!

それからたまたま生協のカタログに載ったフランス・ブルター
ニュ地方のゲランドの塩というのを注文してみました。
いままで使っていた塩は「日本のにがり塩・いわき沖の海水で
作った国産のお塩です」という物で、海水で作った粗塩なら悪
くないかなぁと思い選びました。
ところが比べてみると全然違いました。

いわきの粗塩は、原材料をみると「食塩、粗製海水塩化マグネ
シウム(にがり)」とあり、ゲランドの塩はただ「海水」と書
いてありました。色もいわきのは真っ白で、ゲランドは薄いグ
レーのような少し青みがかったような色です。なめると、いわ
きはただしょっぱい!ゲランドはおいし~い!

それにしても山脈に天然岩塩があるなんてすごいですね。
昔海だった時のものでしょうか・・・それにしては昔すぎますよね。
なぜ山脈にお塩ができるのか不思議です。
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by bp2004 | 2005-01-30 13:38 | お目を拝借
友人がまた もう一人ブログを作った。

その中で彼女が書いていた事である。

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青木 存義(あおき ながよし)さんの歌詞は、ここまでだが、彼の生家があった、日本三景の一つである松島の松島第五小学校で 歌われているという幻の3番があるらしい。 それは、

どんぐりころころ 泣いてたら
仲良しこりすが とんできて
落ち葉にくるんで おんぶして
急いでお山に つれてった

あのあと どんぐりくんは いったいどうなってしまったのか? 実は気になっていた。
どじょうくんも 泣かれては、こまってしまったであろう。気の毒に。
でも そうか。りすくんがきてくれたのか。 どんぐり この幸せ者!えらいぞ。りすくん。 
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これへのコメントで、母が当時2歳の姪にこの歌を歌ったら、その子が「どんぐりさんがかわいそう。家に帰して上げて」と泣き出したという話もあった。

皆優しいんだなぁ、、。全然、どんぐりの心配していなかった、、。私って薄情者、、、。それにしてもそんな三番があったのに、採用しなかった文部省も薄情者。
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by bp2004 | 2005-01-30 09:49 | お目を拝借
彼が就任演説で言った言葉、国に何かを求めるのではなく、自分が国に何を出来るかを問えという有名な言葉。政治家に色々要求する選挙民が当り前の時に、それを言った彼を勇気ある政治家だなと思って感動した。

その時は国と個人という事でしか考えなかったけど、こうして振り返ってみると、自分と他という関係の全てに当てはまる真理だなと思う。

回りが自分に何をしてくれるか、何をして欲しいか、そんな事を考えていても仕方ない。自分がその状況の中で何を出来るか、どう変われるか、そこだけに焦点を絞って行くより他ない。

昨日たまたま車で聞いていたラジオのパーソナリティが言っていた。「自分を幸せに出来るのは自分だけだ。人に幸せにしてもらおうと思ったり、人を幸せに出来るなどと思うのは大間違いだ。」と。同じ事を言っている気がする。自分がその為に何を出来るか。自分が変わる事でしか何も変わらない。
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by bp2004 | 2005-01-30 09:15 | 日米雑記

3 ブログの試験的公開

ブログを先月から始めた。初めはおっかなびっくり。分からない事ばかり。未だにそう分かっている訳でもない。だが、始めてから、回りの友人達も数人ブログを始めた。

赤信号、皆で渡れば怖くない、その言葉のままに段々気が大きくなって来てしまった。それで、しばらく試験的に公開することにした。そうすると、自分のページに他のブログをリンクさせて、提示出来る。(後記:これはちょっと間違いでした。公開、非公開とは関係ありませんでした。この程度の理解です。)私の所に来てくれた人も、ワンクリックで、そちらに行ける。

エキサイトブログでないと、表示出来ないようだ、というか方法が分からない。ともかく、私のお気に入りで、エキサイトブログで公開されているものは勝手にリンクさせてもらってしまった。支障のある方はご連絡下さい。

それと、友人のもエキサイトブログのは、了承が得られれば非公開でも載せようと思っています。そうすると、知らない人からのアクセスも生まれると思うので、それは困るという方もご連絡下さい。非公開のものは了承なしでは載せませんから、ご安心下さい。

それと勝手ですが、公開してデメリットが多いと感じたら、その時点でまた非公開にすると思うので、それもご了承下さい。 勝手きわまりない女 ぶん
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by bp2004 | 2005-01-30 06:59 | 日々是口実
今朝、オットットがある事で文句を言った。

私が日本に行っている間、彼がそれをやっていた時には全く問題なく出来ていた事なのに、君が戻って来て、君がやり出したら、何故そんな事になっているんだと。(自分に出来る事が何故出来ぬ?!と言いたいらしい)

そこで、「それは、あなたが素晴しいからです。」と力を込めて言ったら、ムニュムニュと言いながら、おとなしくなってしまった。ハハ、この手に限る。

 
(ちなみに、そのある事というのは、私が洗濯すると、靴下が片方ばかりになって揃わなくなる。彼が一人でやっていた3週間の間は、一度もそうならなかったそうだ。能力のある彼に洗濯も任せようかな?)
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by bp2004 | 2005-01-30 04:47 | 能天気

ダベンポートの敗戦

昨日の試合は見ていて辛かった。第一セットの、パワフルで正確なショット、絶好調と思われたダベンポート。第二セットだって途中まではセリーナのサービスをブレークしそうな勢いだった。何度も彼女のアドになった。彼女の方が攻めていた。それを切り抜けられたのは、セリーナの技術もあるけど、運もあった気がする。ダベンポートが悪かったわけではない。

でも、その直後あたりからミスが出始めた。第一セットの時と比べるとショットに思いきりがないというか、自信がない。そのちょっとのためらいからだろう、きわどいコースをはずし始めたり、逆に攻められる時に、相手の楽な所に返したりして自分を追い詰めるようなプレーが多くなって来た。

解説者が、ここがダベンポートの問題だと言っていた。今までのどの年より、フィットネスにもウエートトレーニングにも、勿論テニスにも頑張って来たし、それまで素晴しいショットを打っていたのに、たった一球のミスで、自分を疑い始めてしまうと。

今まで苦しい試合から逆転した事だってたくさんある彼女だから、それが本当の事なのかどうか分からないけど、少なくとも昨日の彼女はそんな感じだった。途中から自分を信じられなくなって来て、その穴に自分で自分を埋めて行ってしまったように感じた。

最後のセットの0ー2まで見て、見るのをやめた。気の毒で見られなくなった。後でみたら、あのまま0ー6で負けたようだ。見るのをやめて正解だった。そういうのは見ていて辛すぎる。実際の能力は充分あるのに、それを本人が信じ切れないで、自滅して行くのを見るのは辛い。

解説の女性は、それまでに彼女が打ってきた素晴しいショットを一球でも自分が打てたら、自分は幸福の絶頂になれる。彼女はそんなショットをたくさんたくさん打ちながら、たった一球の不本意なショットから、自分を疑い始めてしまうと言って何度も残念がっていた。

自分を信じるというのは、いかに難しいものかというのを改めて見せつけられた感じの試合だった。自分を信じるというのも能力の一つだと言う。一流の選手にはその能力があるのだと。技術的、先天的にはそう変わらない人とそういう人達とを分けるのは、その能力を持てるかどうかにかかっていると。ダベンポートだって勿論、一流の選手だ。努力だって充分した。そういう彼女にとっても、これだけ難しい。

スポーツ選手に限らず、全ての超一流のレベルに達した人というのは、誰も信じないような時でも、自分だけは自分の力を信じようとした人達のようにも思える。誰が何と言おうと歯を食いしばって自分を信じる。自分の力に自信を失いそうになった時に、そういう自分を克服出来る。そういう能力はどこから出てくるんだろう。
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by bp2004 | 2005-01-30 04:37 | スポーツ半可通

3 薬のコマーシャル

日本の薬のコマーシャルとアメリカのそれとはっきり違う所がある。

法律で、それをはっきり明示しないといけない事になっているのだろう。アメリカの CMは、その薬の効果の素晴しさを大々的に謳った後で、延々とその副作用の注意が続く。

ひどい頭痛に悩まされるかもしれない、腹痛に襲われるかもしれない、心臓発作を起こすかもしれない、癌になるかもしれない、嘔吐が起きるかもしれない、不眠になるかも知れない、逆に一日中眠くなるかもしれない。便秘になるかもしれない、逆に下痢になるかもしれない。性欲を失うかもしれない。逆に過剰になるかも知れない。等々、等々、、延々と続く。

効用を聞いている時は、そんな症状に苦しめられていない私さえ、買って飲みたくなる位の素晴しさなのだけど、副作用を聞いている内に、こんな症状に苦しめられる位なら、そもそもの元の症状位、我慢できそうな気になってくる。これだけ聞かされても、まだ買う人居るのかいな?と思ってしまう。

たまたま昨日、アメリカ人で、母の年齢の方に近い友人と、本当に久しぶりに会って、コーヒーショップでゆっくり話をする機会があった。彼女が全く同じ事言っていたので、やっぱりアメリカ人も同じように感じるのかと笑ってしまった。

効用ばかりで副作用に目をつむった売り方よりは、ずっとましだけど、いつも聞いていて不思議になるコマーシャルである。
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by bp2004 | 2005-01-29 06:23 | 日米雑記
ひとの話を分かる前に、聞けないヤツもたまに居る。

「◯◯の事なんだけど、、」と話を切り出す。そうするともう、「あ、それね、それはこうこう、、」と言い出す。こうこうの部分はもう知っていて、更にその先の話をしようと思っているのに。

「まず相手の話を聞けい!テーマ位は聞いてからでも、口を挟むのは遅くないだろうが。せっかちもいいかげんにせい!」とまた叫びたくなる。横槍を入れられる分だけ、話は長くなってしまうし、馬鹿な私は横槍を入れられると、そもそも何がテーマだったか忘れてしまったりする。

私が馬鹿だから、最後まで聞いていられなくて横槍を挟むのか?(と言っても最後どころか始めた途端である)、普通の人が知っている事でも、馬鹿だから知らないだろうと思われて、相違点を述べ立てられるのか?(さっきの話の続きである。シツコイ、、)こいつの話は始まると長いし、脱線するし、付き合ってられないと思われているのか?(それは大いにありうる)

とにかく、余程馬鹿と思われているらしい。「そうじゃないっ!そこまで馬鹿じゃないっ!」て言えない所がツライ、、、。確かに、、ねぇ、、、トホホ。 ま、馬鹿は黙っていろって事、、、かな? 『沈黙は金なり』、、、それ位は知っているんだけど、、。
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by bp2004 | 2005-01-29 03:09 | In my opinion
こういうのがたまに居る。

たとえばAとBの共通点に基づいて話している。見方を変えれば楽になるかもしれないとか、何か今の状態から抜け出るかもしれないとか。その共通点の中に、ヒントはあるかもしれないとか。ただ単にきっかけとして話す場合もある。

そうすると、そういうヤツはAとBの違いについて猛然と述べ立てる。まるで、こちらがそれに無知であるかのように。 触れていないだけで、今はそちらの話じゃなくて、こちらの話をしようという相手の気持ちの奥にあるものが見えない。

「問題の本質が見えていない、そんな甘いもんじゃない!」なんて怒ったりする。あろうことか、こちらの気持ちを全く逆に受け取ったりする。そもそも、簡単でも甘くもないから、何とか必死で糸口を見つけようとしているのに、、。

人と話す時に、いちいち百箇条の全てを話さなければならないのだろうか。ここは共通で、ここは違うなどと。 何故、今、共通点の話を持ち出しているのか 理解できない。違う点について触れなければ、それを知らない馬鹿だと思う。そもそも、傲慢なんだと思う。相手がそこまで馬鹿だと思えるというのは。 大体、こういうヤツは、人は皆自分より馬鹿で、自分が分かっている事が分かっていないと思っている。

結局、こういう人間は自分で自分を不幸にして行く。聞く耳が無いので、回りの気持ちが分からず、自分も回りも不幸にして行く。そして、回りの不幸に影響されて、ますます不幸になって行く。自分がその不幸に果たしている役割にも気付かない。自分をからっぽにして、相手の話を聞けないからである。まず相手の話の土俵に入って、そこから何かを生み出そうという姿勢がない。土俵の上の塩に文句言ったりして、その土俵を馬鹿にして入ろうとしない。

どんな土俵にも宝が埋っている事がある。相手の土俵にまず謙虚に入って、そこから自分の土俵に、相手も気付かない内に巧みに引きずり込むという高等戦術だってあろうというものだ。相手の土俵に入らず、その土俵をけなして、いきなり自分の土俵で勝負を挑もうとする。自分の土俵しか認めない。それで勝負は勝てても人の心はかちとれない。相手の心を失ってしまう。

どんな馬鹿からでも学ぶ事はあるものである。「人の話は、どんな馬鹿からでも、謙虚に無心で聞けい!反論する前に相手が本当は何を言いたいのか、ゆっくり考えてみい!馬鹿なら余計、言っている事と思っている事がずれたり、食い違ってしまったりするって事だってあるんじゃい!言葉尻や理屈じゃなくて、その気持ちに沿ってみい!」と自他ともに認める馬鹿の私は叫びたくなる。

でも、ふと思う。相手もこちらをひとの話のわからないヤツと思っているんだろうな、、。相手の土俵を拒否した馬鹿ちんと思っているんだろうな、、と。

人のふり見て我がふり直せ。そんな事しか、しょせん自分に出来ることはないのだろう。せめて不幸な利口より、幸せな馬鹿でいたい。
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by bp2004 | 2005-01-29 01:05 | In my opinion