about・ぶんの前身ブログです。こちらが本店、あちらが支店のつもりです。(笑)


by bp2004

子孝行

そういう言葉があると言う。子供に負担を掛けないで、老後を終らせられると、子孝行が出来たというのだそうだ。

私は嫌な言葉だと思う。私も人並みに、子供に苦労させたくないとは思っている。でも、子孝行とは卑屈な、嫌な言葉だ。苦労掛けたくないと思ったって、その時になってみなければ分からない。誰も掛けたくて掛ける訳ではないだろう。親と子、苦労を掛け合って、絆を結んでいる部分だってあると思う。仮にも親ではないか。そこまで遠慮する必要がどこにあろう。

「苦労を掛ける気はない。面倒は見させない」と言って、いざとなったら世話になるという例だってたくさんある。散々苦労掛けないからと言われて、その気で育って、何の心の準備もなく、いざ介護なんて出来るものじゃない。世話をするのが当り前と思って育たなければ辛いばかりだ。綺麗事ばかり聞かされて、心の準備もなく結局引き受けさせられる。そっちの方がよっぽど可哀相だと思う。



私は子供達にいざとなったら分からないよという事で、心の準備だけはせめてさせておきたいと思ってきた。だから、小さい頃から冗談まじりに、将来、おむつの世話をしてもらうんだからね!と言い渡してある。ぼけたら面倒みてよとか徘徊したら引き取りに来いだの、何だかんだと。彼女達は「イヤダー!」といつも言っているけど、ひるまずに、綺麗事は言わないようにしている。

私自身の親の介護は末弟一家、特に義妹におんぶにだっこである。私が偉そうな事を言える立場では全くない。それでも、義妹に比べればほんのごく短い間でも、弱った親の世話をすると、老いというのはこういうものなんだなと知らされる。死に向かって行くというのは、こういうものなのだと教えられる。親が、身を以てその背中で、最後の最後まで、人生というものを教育してくれているのだと感じる。模範である場合もあるだろう。反面教師である場合もあるだろう。どちらにしても、自分の老後、自分の人生というのを嫌でも考えさせられる。

自分の人生が終りあるものである事、好きなように動ける時間も限られているものである事、切なさも悲しさも、人間のどうしようもなさも教えられる。全面的に子供に世話になっている親だって、そうやって、子供にすごく大切な事を教えてくれる存在だ。親のじたばたを見るからこそ、自分自身の老後への心構えが出来る。そういう大事な事を教えないで何が子孝行なのだろうか。

私はあっさり行きたい(それが本人も一番楽だと思うので)とは思っているけど、残念ながらそうは行かなかったら、「あなた達に人生を教えてあげてるのよ!これが本当の子孝行!」って、大威張りでこき使ってやろうと思っている。そして、「楽な人生を楽しむのは馬鹿でもチョンでも出来る!苦しい所から楽しみを見つける術を覚えなさい!そうすれば残りの人生、鬼に金棒!」ってわけのわからない哲学を振り回して、煙に巻いて 大往生しようと思っている。
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by bp2004 | 2005-02-01 02:42 | In my opinion