about・ぶんの前身ブログです。こちらが本店、あちらが支店のつもりです。(笑)


by bp2004

2 褒める

伝統的な日本の教育というのは、褒めないというものだった気がする。出る杭は打たれるという風土の中で、親も必死で、子供を謙虚な人間、うぬぼれない人間を作らなければと思ったのだろう。

私の母などはそれを頑張り過ぎたのではないかと思われる。兄弟の誰を取っても、彼女に褒められた記憶がない。末の弟は、私から見たら、すごく可愛がられて、褒めそやされていた感じなのだが、本人はそんな事は断じてないという。よく確かめてみると、母は本人の前で本人を褒めるという事をしなかったのである。




褒められた記憶のない私の事も末の弟の前では褒めていたらしい。何を褒めていたのか、はなはだ疑問だが。上の弟の事は私には頭が良くて、根のすごく優しい子とよく言っていた。末の弟は私には素直な性格の良い、誰からも好かれる子として褒めそやしていた。それぞれ、へそまがりであまのじゃく、ちょっとひねた、優しさの足りない問題性格の私が見習うべき存在として。

学校で作文などを褒められ、勇んで家に帰り、報告すると一応「良かったじゃない。」とは言ってくれる。でも、その作文を見せた後が大変。何でこんな簡単な言葉を漢字でなく、ひらがなで書くのか、言っている事が不正確だ、生意気だ、云々。見事に鼻をへし折られる。大体、そんな感じだった。母の場合は少々極端だったかも知れない。でも多少の差はあれ、日本の親というのは大体、そんなものだったのではないだろうか。最近は大分違うのだろうけど。

アメリカの場合は、よく知られているように基本は褒める教育である。褒め方も上手だ。どこをどう褒めてよいやらというような場合でもちゃんと褒める。子供達が小さい頃、YMCAのサマーキャンプに行かせた。その最終日に全員に表彰状が渡される。手書きのものだけど、最も創造的、最も勤勉、最もユーモアがある、最も優しい。最も、、云々。よく一人一人に、嘘っぽくなく、最もというタイトルで、その子の良い所を見つけられるものだと感心した。

よく親が子供に言う台詞は"You are so special. I am so proud of you."である。だから、子供一人一人が自分の個性に自信を持ち、自分を特別な存在だと思っている。それぞれに自信満々である。あまり、アメリカ人の友人から、自分に自信が持てないという悩みを聞いた事がない。こう書くと凄く良いようだが、問題はある。

自分がspecialとは思っているのだが、他人も自分同様specialだという事にあまり気付いていないのではないかと思われる節がある。自分だけがspecialと勘違いしているのではと思われる場合がある。また、自分を過大評価しすぎていて、変にプライドが高く、自分を客観的に見られないので、身の程知らずな要求とか自己主張したりするのも少なくない。

いつも思うのだが、日本もアメリカも両極端だと思う。ちょうど真ん中位が良いのにと思う。

ところで、アメリカ人の友人でも、昔、自分に自信が持たなくて苦しんだという友人が居た。彼女に会った頃は、私もそうだったので、そういう所からどう抜け出すか、色々教えてくれて、とても支えてもらった。大事な大事な友人だった。白血病でもう亡くなってしまったけど、彼女はいつも私の心に居る。その彼女は、父親にいつもけなされていたと言う。褒めてもらった記憶がないというのだ。

彼女の例から言っても、褒めるという事が自分に自信を持たせる為には、どれだけ大事な事か分かる気がする。自分の子供を褒めて、同時にその友達の良い所とか他の子供も褒める、そういうのが子育てには必要なのではないかと思う。自分も人もその良い所を見られる人間に育てる事が。

よその子を褒める場合、気をつけなければならないのは、そこがあなたに足りないとか見習えとか言わない事だろう。一つの個性として、ああいうの素敵だねぇ、良いお友達が居るね。あなたが良い子だからお友達も良いんだねと言って上げる事だと思う。

人の素敵さを見い出せる子、それを個性として評価出来て、自分と比べたり、妬んだりしないようにしなければならないだろう。難しい事だ。偉そうな事書いても、自分を振り返れば出来なかった事ばかり。若いお母さん達には頑張って欲しい。
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by bp2004 | 2005-02-10 05:59 | 日米雑記