祈りは力を持つ。心を無にして祈る。ひたすら祈る、それは祈る人の全身に力をみなぎらせる。祈りには力がある。そういう個人的なレベルでの祈りの力も信じているが、もう一つの祈りの力も信じている。
それは大分前になるのだけど、石原裕次郎が初めて倒れて入院して大騒ぎになった事がある。日本中の人が心配し、たくさんの花束、激励が寄せられ、日本中が回復を祈っているような感じの時に、誰かがテレビかラジオで言っていた。
祈りには力がある。どれだけ沢山の人が、その人の為に祈るか、それは祈りの力になって、超自然の大きい力が祈りを実現させるのだと。だから今こうして日本中の人が祈っているのは、大きい力になって裕次郎は助かるだろうと。
その通り、その時、彼は助かった。その人は、だから日頃というものが大事なのだ。どれほどの人が真剣に自分の為に祈ってくれるかという事が、とも言った。祈ってくれる人が少ないと助からない、多ければ多い程、それが力になるのだと。
霊感と違ってそちらはストンと心に落ちた。どれだけの人がその人の為に祈るか、そういう人生を歩めるか、それは大事なのだということが。
夜中に突然起きて、こんな超自然のテーマで二つも書いている。これもきっとそういうものが私に書かせているのだろう。書いたので、あとはもう一度ゆっくり寝させてくれることだろう。
日本人なんだから、万葉集位、もう少し知らなければと読み始めました。読みやすくて、万葉の時代のひとびとが、すごく生き生きと身近に感じられます。お勧めの本です。犬養さんは、大阪大学で学生に教えておられた時、学生達を全国の万葉集ゆかりの土地に連れて行って話をされたそうで、そこで話された万葉集の時代の人々の詩心に感激して、出席も取らないのにたくさんの学生が、いつも次回を待ちかねて参加して来たそうです。それを基にして書かれた本のようです。
まだ読み初めですが、その第三回のお話「霊魂」の中のお話に感動したので、その部分をご紹介したいと思います。ここで犬養さんは、物は、人が触れる事によって、人の魂が移るのだと言ってます。だから、形見の品というのも、その人が触ったという事によって、ただの品物を超えた魂の移ったものになる、そのように万葉の人々は感じてきたし、それは、現代の私達にも根付いているのだと言われます。その一つの例として挙げられたのがこのお話でした。
みなさんも見てらっしゃると思うんですが、NHKで、いつだったか「こんにちは奥さん」という時間だったと思うんですが、もう大分前ですがね、こういうのを見ました。八十をすぎたおじいさんとおばあさんが、初めて二人揃って旅行をした。そういう人たちを何組かスタジオに連れて来て感想を聞くんですね。
さて、「どこへ行ったんですか」と聞いたら、「鹿児島へ行った」と言う。戦争中、自分の長男が鹿児島から飛行機で飛び発ったきり帰らないで戦死ということになっている。そこで、一度夫婦そろって息子が飛び発った所を訪ねてみたいと思っていた。
さて、現地に行ったら、雨が降っていたんです。そうしたら、自動車の運転手が、「おじいちゃん達、そういうことなら、いとわないからどこまででも行ってさがしてあげる」と言ってくれた。行ってみたらそこに飛行場なんかありゃしない。記念塔のようなものが立っていて、砂利が敷いてあった。
おじいちゃんはその石が欲しかった。もしかしたら息子が最後に踏んだ石であるかも知れない。けれど公共のものだから、いただくわけにもいかないと思っていたら、運転手が、「ひとつ、坊ちゃんが踏んだかもわかりませんからお持ちになったら」と言う。「ああそう言ってくれるか、それじゃいただいていくか」というわけで、その石を持ってきた。
「じゃ、ここにお持ちですか」ってアナウンサーが言ったら、おばあちゃんが、もう涙を出して、そして震える手で、ハンカチの中から石を出すんです。布きれの中からね。私は何の気なしに朝のご飯を食べながら、横目でテレビを見ていました。そうしたら、涙がワァーッと出てきました。
だって、おじいさんとおばあさんにとっては、ただの石ころがもう、息子そのものになっているんです。そうしたらどうでしょう。アナウンサーの方も鼻声になっていたし、それから集まっているご婦人達もみんな泣いています。あの瞬間、日本中を泣かしたんじゃないでしょうか。何でもない小石一つが。
それは、本当は、関係のない何でもない石かも知れない。その石が日本中の人を泣かせるというのは何でしょう。人間の心というものでしょう。心の厚みですね。石は石ですよ、平凡な。その石を、そういう風に考えるというところに、人間の心の厚み、人間に対する頼もしさというものを感じます。だから、「信濃なる 千曲の川の 細石も 君し踏みてば 玉と拾わむ」なんていうのは、全く人間の頼もしさを身近に感じさせる歌だと思うのです。
万葉は、千三百年も前で古いけれども、一番古くて、一番新しいということを前に申しました。本当に古くて新しい心、それが万葉の心ですね。
イスラム教というと、何となくコワイようなイメージだったけど、その大らかさ、愛情深さに驚いた。最近はもっぱらテロで名を売ってしまっているけど、敬虔なイスラム教徒の人達が、自分達の宗教とテロは無縁のものだ。イスラム教は愛の宗教だというのも分かる気がする。
そのイメージだけが強く、細かい事は、当然のように忘れてしまったけど、一つだけ強烈に印象に残っていることがある。日本人の感じ方と180度違うけど、むしろ、イスラムの人の感覚の方が正しいのではと思ったので、、。
イスラム教では困った人を助けるという思想はとても強い。普段でもそうだけど、その宗教のお祭りの時は特にそうなる。それで、与えられる立場にある人は家を解放して、そういう人達を迎える。見ず知らずのそういう人達を迎えて、温かく歓待する。そういう習慣があるのだそうだ。
ここで助けられ、下へもおかぬ歓待を受けて、さて、その家から帰ろうという時、日本だったらどうだろう?助けられた人は感謝感激、地面にひれ伏さんばかりにお礼を言うのではないだろうか。涙をこぼしてお礼をいう人もあって不思議でない。助けた人は、鷹揚に、温かく、気にしないで、またいつでも、みたいな事を言うのではないだろうか。
これがイスラム教の考え方では全く逆になる。助けられた人は、お礼も言わずに堂々と、帰るのだという。お礼を言うのは助けた方の人で、よく来てくれた。お役に立てて嬉しい。本当に有難うと、言葉を尽くしてお礼を言うのだという。
何故そうなるか?
それは助けた人は、それによって功徳を積めるからであり、助けた人の方が幸せだからである。助けられた人は、助ける人に助けさせて上げたから、お礼を言われて当然なのだという。
読んだ途端はものすごく驚いたけど、考えてみると、こちらの方が正しい気がする。受けるより与える方が幸せである。与えさせてもらったという謙虚な気持ちは正しいのではないか。
日本的発想だと、助けるのは、してやったという奢りにつながる。見返りを期待したりする。あそこまでしてやったのに、恩知らず云々。助けられた方は引け目を持ったりする。でも、そもそも、与える立場の方が恵まれている。与えさせてもらったという考え方というのは、謙虚で良いなと思う。
人に甘えられない人というのが居る。甘えてばかりいる人より、そういう方が好ましい。自立しているという点でも好ましい。それは確かにそうだけど、程度問題じゃないかなと思う時もある。もっと素直に甘えても良いのじゃないかと思う時がある。本人もそう分かっているのだけど、甘えられない。
でも、少し考え方を変えても良いのじゃないかな。甘えてばかり、相手におんぶにだっこじゃ、それこそ相手も迷惑かもしれないけど、ぎりぎりの所に来たら、ちょっとは甘えても良いのじゃないかな?信頼出来る人になら、少しは甘えても良いのじゃないのかな?
人に甘えてもらうのってそんなに悪い気分じゃない。人に優しくしてあげるのって良い気分だ。甘えるという事はある意味では、そういう良い気分に相手をしてあげるという事でもある。絶対に人に甘えられないという人は、ある意味では、絶対に人をそういう良い気分にさせたくない人なのかな?甘える程、相手を信じられない人なのかな?とふと思ってしまうことがある。
イスラム教の教えのこの部分は、そういう発想もあると、もっと日本に伝えたいなと思う点だ。助けさせてあげること、甘えてあげることによって、与えているものもあると思う。そう意固地になることもないのではないかなと思う。もっとお互いに大らかでもよいのではないだろうか。与える立場というのは、与えさせてもらっている立場。その通りなんじゃないのかな?
50代、人見知り、初めて会った人と何を話していいか分からない。パーティは英語はもちろん、日本のも苦手で嫌い。そういうのは、私以外はごく少数?と思って、載せずにいましたが、意外と50代とも限らないようだし、そう少数派でもないようなので、載せる事にしました。( )内は私の独白です。とりあえずはあっこさんにTB。
まずパーティに出た時の心構え。
うつむいて食事をするだけでは、だれも話しかけて来ない。しっかり顔を上げて周囲の人に「自分はこの会場に来て楽しいと思っている。いつでも声を掛けてください。」と表情でアピールすることが必要。(拓殖大学 長坂寿久教授)
(大体、行く時は嫌々で、そもそも楽しいなんて思っていないのに、、、む、難しいっ!大体、食べるのだけが楽しみで行っている訳だしぃ、、、(汗))
長坂教授による「話しかけられる術」
*にこにこ笑顔を絶やさないこと。本人が楽しそうにしていれば周囲も声を掛けやすい。「この人なら必ず会話に乗ってきてくれるだろう」との安心感を相手に与えるから。
(要するに相手もホントは不安一杯ってことだよね。)
*立つ位置も重要。壁から1、2メートル離れた所に立つ。左右に移動する人が多いので目と目が合ったのをきっかけに話しやすい。
(どうしても壁にへばり付いて、壁を保護色にしてしまう私、、(恥))
明治大学 斎藤孝教授
*何といっても本人が上機嫌でいる事が会話の土台。
上機嫌は人付き合いをする上での作法。一つの技。
その時の気分や感情にまかせず、意識して上機嫌を演じることがパーティ会話の
基本であり、社交のマナー。
(きえーっ、む、難しいっ!でも、マナーとまで言われては演じなければ、でも、演技は超苦手、、(困惑))
朝日カルチャーセンター「話しかたレッスン」講師 服部将子フリー・アナウンサー
*無難に天気の話をする場合も「自分らしさを付加することを忘れずに」
自分の体験を伝える。雪ならば、その日、あるいは以前苦労した体験とか、、。
(要するに、ちょっと広げるという事ね。これなら、出来るかも?針小棒大は得意。ちと違うか、、でも、この際、何でも動員てことで、、)
*自己紹介の時に、著名人と絡めるのも有効。
元NHKアナウンサー 青木一雄氏
*話題を探す順番 気候 き
道楽(趣味) ど
ニュース に
旅 た
知人(有名人も含む) ち
家族 か
健康 け
仕事 し
衣食住
この順番を覚える為には、頭をとって、「木戸にたちかけし衣食住」と覚えればよいそう。(こんな覚え方をしなければいけないって事は、それだけ皆、話題に苦労しているって事ですね。皆、思いは同じ、、。ちょっと嬉しい。)
*先ほどの明大の斎藤教授によると、名刺の裏に自分の好きなものや趣味を並べて印刷するのも話題のきっかけになって良いそうです。(名刺を持っていれば、、ね。)彼の場合は、ベルギー製チョコ、ペット犬の種類、好きな映画の題名、スポーツ名などが並んでいるそう。(結構、涙ぐましい努力!)カラオケで歌うのが好きな曲とか、好きなお酒の名前などもよいそう。
*更に、軽い相談事を持ちかけるのも良いそうです。簡単な市場調査のような。あくまでも重大事ではないものを。(それはそうっ!知らん人にいきなりヘビーな相談持ちかけられてもねぇ、、)
*自慢話だけは絶対に避けるように。とりわけ50代は自重すべしとか、、。(恥まで自慢に出来る50代は怖いものなしだワナ、、その点。)
パーティで会話を弾ませるための心得
その中で、彼女がインタビューに答えて、戦場で親を失った子供達の話をしていた。どんなに健気で前向きでいじらしいか、、そういう話。その中で胸を突かれた言葉があった。親を戦争で失った子供達は、自分が言う事を聞かなかったから、自分が良い子じゃなかったから、だから親は殺されたのだと思って、自分を責めているという。
多分、自分が良い子じゃなかったから、神様がそういうばちを与えたのだという発想なのだと思う。
離婚でもよく聞く。親の離婚の原因を自分のせいだと思ってしまう子供達が無数に居る。親が関係ない事で喧嘩していても、自分が良い子じゃなくて、親を疲れさせてしまったからだと、自分を責める。不仲の原因を作ったのは自分だと責める。
親の虐待の時でもそうだ。親を疲れさせてしまったからとか、自分が悪い子で親を怒らせてしまったからだとか。だから助けに来た保護司の人の前でも、親の暴力を否定する子は珍しくない。あざだらけでも、自転車で転んだとか、ドアにぶつかったとか言って、親がやったと認めようとしない子は、珍しくない。
子供ってこんなに健気でいじらしい、切ない存在。世界の色々の所で、こうしている今も、自分を責めている子供達がたくさん居る。そう思うと、すごく切ない。子供を守るのは大人みんなの仕事だ。
そもそもアメリカの免疫学会の長は、アメリカ市民でなければならないという規定があったそうだが、この人になってもらう為に、規定を変えたのだとか。こういう所で、さっと規定を変えられる所がアメリカらしい。日本だったら、前例がないとか、日本人以外にその席を渡すのはけしくりからん、なんて反対の動きが出そう。
現に夫人は京大の教授にという声がありながら、医学部では女性の教授の前例がないと教授会で却下されたとか。ほんの30年弱前の話。その直後に夫人はアメリカの大学の医学部で教授になられている。アメリカで日本女性が教授となった初めての方らしい。奥様の照子さんも同じく免疫学者で、夫婦での受賞もされている。
私は日本で前例がないというのが何かの理由にされる度に、腹わたが煮えくりかえる位の怒りを感じる。全ての事に初めがある。進歩もそこから始まる。教授会のメンバーといえば、それなりに知的なレベルの筈の人間が、揃いも揃って、こういう事を平気で言い、かつ実践する時、私は日本に深い絶望を感じてしまう。
初めがなくて、進歩があろうか。前人未踏の世界に挑む心意気がなくて、未来があろうか。前例がないというような非論理的理由が論拠になると思える感覚すら信じられない。最高学府のトップに立つ人間までが、そんな論理性のかけらもないことを平気で持ち出して、見ているこちらの方が恥ずかしい。
今、奥様はパーキンソン病に倒れられて、故郷の山形大学病院に入院し、6年半になるという。この石坂氏は、毎日、奥様の病室に行かれて朝の9時から午後5時か6時まで病室に居る。奥様が眠っておられる間だけ、色々、お仕事を病室でされているそうだ。79才の今もかなりお忙しいらしい。
行間に、いつもお二人の人間としての誠実さ、謙虚さ、勤勉さ、自然科学への純粋な情熱、社会への貢献への情熱、そして深い夫婦の間の尊敬と愛を感じて、気持ちよく読ませてもらった。感銘を受けた全部は紹介できないけど、いくつかご紹介を。
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当時(昭和20年)の学生は自分の命があと数ヵ月しかないと思っていた。ところがその年の八月に終戦になり、私も生き永らえることになった。
はっきりしていることは、人間がどこへ行って何をするかということは遺伝子ではなく偶然によって決められるということである。
研究者になることを決めたときも、将来日本で学者が必要になる時代が来るかどうかはわからなかったし、経済的な保証も全くなかった。にもかかわらず私がそんな職業をもつことになったのは、一生に一度でよいから自分のしたいことをさせてもらいたいという気持ちがあったからである。いくつかの偶然の積み重ねがそれを可能にした。人生とは不思議なものである。(以上、初回より抜粋)
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「一日一日を大事にして生きていく以外には致し方ないとあきらめに達しています。まったく四十五年間幸せに、大事にして可愛がって頂きました。・・・・ 貴方に不自由な思いだけをかけていて、本当にすまないと思いますが、許してください。そしていつまでも照子のボクとして、最後まで貴方を愛して先立ってゆく私をゆるしてください。」(注:奥様が病気とその将来を知って書かれたお手紙)
我々自然科学者にとっては自然は絶対的な存在である。照子も私も、自然が決めたことを客観的に受け入れるほかなかった。
(以上、28回目より抜粋)
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私が日本に帰って感じたことは、日本人の考え方が三十五年前とは変わってしまったことだった。学生たちは自分が将来何をするかよりも、有名な学校に入ることや安泰を第一としているし、エリートたちは名を上げることやほめてもらうことを目的として生きているようにみえる。
私が学問の世界に飛び込んだのは、自然科学の美に魅せられたからである。そして、それは我々夫婦に共通した感覚であった。
基礎科学者は誰もほめてくれなくても自然の美を発見したことに満足なのである。そう感じない人はこんな仕事をするべきではない。
我々が研究者として成功した最も大きな理由は、我々が愚直だったことにある。私は英語で嘘をつくことができないので、嘘をつくことを忘れてしまった。照子の場合は正直の上に”ばか”がつく。幸いにして愚直であることは科学者にとって最も大切な資質であったし、愚直は多民族社会である米国で自分の信念を通すために最も重要なことであった。おそらく、我々くらい米国でいろいろの人と心を通わすことができた日本人はめずらしいだろう。
我々の人生は面白い人生であった。 (以上、最終回より抜粋)
今やっている『ファイト』というのの最後に出てくる言葉が、結構、気に入っている。どれ位のペースで変わっているのか分からないけど、時々変わる。
今日のは、「忘れてもいいよ。わたしは忘れないから。」というものだった。ふと胸を突かれた。「忘れないでね。」というのはよく聞く。でも、こういうのは聞いた事ない気がする。でも、本当に素敵なのは、相手が忘れないでいてくれる事よりもーそれは勿論、とびきり素敵なことだけどー自分が忘れない、忘れられない、そんなものがある事のような気がする。「忘れないから」と言えるものがたくさんあるって素敵な事だなと思う。
いやあ、、、ラスト・シーンの綺麗だった事!素敵だった事!やはり、冬ソナは素敵なドラマだったと二人で満足気に頷いた事でした。
韓国には、日本が失ってしまったものが、まだ残っている感じがしますね。あんなに熱烈な恋愛ドラマなのに、ベッドシーンがただの一度も出てこないどころか、キス・シーンも2、3回。それも、どろどろしたのではなく。 キスもしないで、顔をいとおしげにさするようなシーンの方が、はるかに愛情を感じましたよね。
それと、あきらめるという行為の美しさを感じさせてくれました。相手の為にあきらめる、抑制の効いた選択。色々な場面でそれを感じました。抑制の美しさを。
悪者が出てこないのも良いですね。勿論、悪い行動はあるのだけど、弱さからの行動で、邪悪な人は出て来ない。それも後味が良かったです。
あきらめて、あきらめて最後に残るものの美しさ、、、それをラスト・シーンに凄く感じました。日本で冬ソナが騒がれている時は、何のこっちゃ?と思いましたが、遅ればせながら、はまれて幸せでした。
ラスト・シーンは写真があったら部屋に飾りたい位です。相当ビョーキ?
48才の時に刊行された『表札など』からです。彼女は14歳から55歳の定年まで日本勧業銀行に勤務し、生涯独身で詩を書いたそうです。4歳の時に母を失い、その後、3人の母を迎えたとか。
「くらし」
食わずには生きてゆけない。
メシを 野菜を 肉を 空気を 光を 水を
親を きょうだいを 師を
金もこころも
食わずには生きてこれなかった。
ふくれた腹をかかえ
口をぬぐえば
台所に散らばっている
にんじんのしっぽ 鳥の骨
父のはらわた 四十の日暮れ
私の目にはじめてあふれる獣の涙
深い洞察、それ故に強い力を持った詩だなと思いました。言葉が重い。軽い言葉が巷に氾濫している現代ですが、こういう重い言葉の詩には打たれます。耐え切れない程軽い言葉の中で、こういう重い言葉が吐けるのは、やはり詩人の詩人である由縁でしょうね。詩人という存在に羨望を感じました。
現代で、自分の言葉に命を賭けられる人がどれ位要るのでしょうか。言葉が軽すぎる。私も賭けられる訳ではないですけど、命を賭けられる人を渇望する自分が居ます。命を賭ける所まで行かなくても良いけど、せめてその耐え切れない程の自分の言葉の軽さに羞恥心をと望むのは、生硬すぎるのでしょうか。、
柳井氏は、心・技・体にわたり全人的に己を向上させる余裕の持てる教育が真のゆとり教育であると主張し、本当に必要なのは、知的探究のための『ゆとり』であって、やるべきことをやらないで生まれる『ゆとり』ではない、逆説的になるが、基礎的なものは詰め込んで初めて、人間のゆとりが生まれると主張しています。先ず詰め込み教育だと。
インドにおける掛け算九九X九九の事、また、外国語の習得の為に、文学作品を暗記し、基本構文を頭に叩き込む事などの方法も挙げています。(ちなみにインドでは99X99までの九九を覚えさせるというのは、私もインド人の友人から聞いています。インドの教育は、基本的に、驚異的な暗記教育で、その意味では創造性には欠ける人材が育つ弊害があるものの、現在の日本をはるかにしのぐハイテク立国の状態は、そこに支えられている部分も大きいです。中途半端でない暗記教育なら、それなりのレベルに達するという良いお手本である気もします。)
彼はさらに続けて、日本人に欠けているのはディベートの精神であり、これをもっと重視した方が良いと述べています。それとの関連で、出る杭は打たれるという意識が強すぎる弊害についても触れておられます。最近、私もディべートの精神が足りていない点について、述べましたので、わが意を得たりの思いで、この記事を読みました。
日本ではデイベートは論争に勝つ事と考えられている傾向があるように思います。ノーと言える日本人を作るというような形でも言われていると思います。
でも、デイベートの本来は、自分の意見をきちんと相手に理解させる形で展開できる能力、相手の反論をきちんと丸ごと理解できる能力、そして、お互いに完全に相手の意見と違いを理解し、その違いのよってくる基盤を理解し、そしてお互いを認め合うという所がポイントです。勝ち負けは関係ないのです。コミュニケーションです。理解です。
日本では、ディベートというのが言い負かす事と誤解されている面もあるような気がします。アメリカ人で、日本人はノーと言えないと思っている人は少ないように思います。むしろ、はっきり言わずに、黙って、ノーを押し通すと思われています。相手を完全に理解し、自分の立場も完全に理解させる能力を育てるのは急務であると思います。